さざなみのキヲク~宮澤章二先生の詩~

宮澤章二先生の詩をご紹介します

「風と光の詩人・宮澤章二」企画展に行く 於さいたま文学館 2015.03.22




3月15日。


数日前に知った「風と光の詩人・宮澤章二」没後10周年記念展に行ってきた。


埼玉県桶川駅そばのさいたま文学館。




コーナーが、思ったより小さかった。


最終日、観覧者は少なかった。


2ヶ月の期間中に3回、ゆかりの仲間、ご子息の、先生を偲ぶ講演もあった。


それも早く知っていたら行きたかったが・・





併設の図書館にある先生の東京帝大時代の詩や


多くの掲載書物、詩歌集に目を通した。







先生は両親を早くに亡くした。


そして、大正時代に生まれ、戦争、敗戦、復興、経済急成長、平成の世・・・・・・・・


先生の想い、願い、生き様が作品に現れている。




展示されている原稿用紙の直筆。


その筆跡からは、細やかな心遣いが手に取るように伝わる。


詩であるから、


多くは語っていないのだが、


端的な文章、確実な表現語彙、そして、生きることの意味が主題でそれを自問自答する。


ゆるぎない先生の心の芯と、先生ならではの作風を感じることができる。




共感の嵐。


展示会場と、図書館とで5時間半居たが、


半分は泣いてた。・・・笑


もともと涙もろいので、中学生の頃からすぐ泣くのだ。


でも恥ずかしがりやだから、人前では泣いていないフリを必ずする。


「目から汗が。」「具合が悪くなったから後ろ向いてる」的に誤魔化そうとするタイプ。




しづかな願いと、もの哀しさが伝わってくる。


そして、自分の遠い記憶の原っぱと、小学生の頃と、


私のイメージする、古き良き人情の時代、のようなものを想わせてくれる・・・・・




先生は、平成17年3月11日に逝去されています。


くしくも東日本大震災の日と同じ3月11日。


(震災は平成23年3月11日)


4年前の、平成13(81歳)年に、それまで毎年知人宛に出していた年賀状を


書くことを止めます。4年間、どのように過ごされていたのかは


うかがい知ることは出来ませんでしたが。






平成3年 詩集「風魂歌」より




「歩いている」



はじめから なんにもなくて ただ消えてゆくために歩いている


それがいのちかも知れないな と 或る日なにげなく思い始めて


それからも ずいぶん歩き続け 雑事の波風にもまれたような


気もするけれど 掌上に残るものなど やっぱり なんにもない



過ぎ去るというのはそういうことだ 時に写真などうつしてみても


過去の自分は他人に等しく 歳月の推移がすべてを消してしまって


思いが通じるということもない どなたですか 私に似て非なる


ご老人 などと古写真の顔が こっちに問いかけたりして



だが ほんとうのところは 軽い わが身がへんに軽いのだよ


と こんどはこっちが古い写真に 語りかけて


はじめからなんにもないなんてさ こいつは妙(たえ)なる身軽さなんですねぇ


と だれかに感謝したい思いが湧いても そのだれかさえ


どこにも いない





・・・・過去の人が、このように言う心境。


自分の親にも聞いたことがない。


老人の気持ちって、こういうものなのか。


あれだけ作品を多数世に残した人なのに


なにも手の中には残っていない、と。


自分ももっと漠然と、少しだけこんな風に思いかけていたので


涙が止まらなかった。


係の文芸員さんと私だけの空間に


鼻をすする音が響いた。 





平成3年 風魂歌



「居眠りタイム」



じいさまはいねむりをする ・・・・・


うつらうつらしたり目ざめたりして これから三年あまりたてば


孫は小学校を卒業するし ちょうどそのころ 居眠りじいさまのほうは


ほんとうのさよならを呟きつつ 人生学習を卒業するだろう


おれが学んだのはなんだったのかな などと ひとり思いながら






ホームスタディほくしん 第一号 昭和51年 北辰教室



「母と子の季節」



母は春の大地


子どもらはそこから立ち上がる


子供らはそこから一歩ふみだす



母は夏の空 


そこへ向かって子どもらは手を振る


そこへ向かって子どもらは飛ぶ



大地はあたたかく包むだけだ


青空は明るく見つめるだけだ


けれど その無言の笑顔の中に


子どもらはすべてを見すべてを聞く



母達の力が地球を変えるだろう


子どもらの力が地球をまわすだろう


流れ続ける母とこの豊かな愛の波動が


つねに世界の新しい朝を用意する





・・・・昭和の50年代。


先生はこのとき40年後をどこまで予想し、


どう感じていたのだろうか。



宮澤先生は、あの誰もが知っている「♪走れそりよ・・・」のあの


「ジングルベル」の日本語歌詞を考えた方。


昭和の30~40年代には多くの子供教育絵本におはなしや詩を


書いている。 





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